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氷川の杜(スタッフブログ)

2019年10月6日 (日) [氷川の杜(スタッフブログ)]

『川越まつり』のお話し

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台風被害にあわれた皆さまには心よりお見舞い申し上げます




皆さまこんにちは。ブログ管理者そよ風です。今日も氷川会館オフィシャルブログにお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
10月といえば「川越まつり」
今日は『川越まつり』のお話しを。




一般的に「川越まつり」と呼ばれるこのお祭りは、元々川越氷川神社の例大祭と神幸祭のことです。例大祭は、川越氷川神社創建以来続く秋の神事。氷川大神様への感謝の奉納と、氏子崇拝者の健勝を祈るお祭りです。

神幸祭は、氷川の神様が神輿に乗られて川越浄化の町々を巡行するものです。例大祭の付け祭りとして行われるこの山車行事(神幸祭)は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

神幸祭の歴史は古く、慶安元年(1648年)に、当時の川越藩主、松平伊豆守信綱が氷川神社に神輿、獅子頭、太鼓などを寄進し、祭礼を奨励したことが始まります。当初は、神輿行列が氏子の町々を渡御し、氏子域の十ケ町が仮装行列などの練りもので供をしていました。その後、慶安4年(1651年)から華麗な行列が町々を巡行し、町の人たちも随行するようになりました。

元禄11年(1698年)には、高沢町(現在の元町二丁目)が、初めて踊り屋台を披露しました。この踊り屋台は、当日の江戸のお祭りの花形!江戸の風流や風俗を取り入れながら、お祭りは徐々に発展してきました。これには江戸と川越を結ぶ新河岸川の舟運が大きく関わっています。「江戸へ荷物を運び、江戸から文化を運んできた」と聞いたことがあります。舟運の始まりは、嘉永15年(1638年)の1月におきた川越の大火がきっかけです。未曽有の大火は、喜多院や仙波東照宮一帯も火の渦に巻き込みました。その時、江戸幕府三代将軍・徳川家光の命により、喜多院等の再建のための資材を江戸から新河岸川を使って運び込んだことが始まりとされています。川越が大火に見舞われていなければ、お祭りが今のような形にはなっていなかったのかもしれません。当日は大変なことだったでしょうが、そういったことも含めて川越まつりの歴史なのですね。

川越まつりは平成17年(2005年)2月、江戸の天下祭りの様式や風流を伝える貴重な都市型祭礼として、「川越氷川祭の山車行事」が国指定重要無形民俗文化財となりました。また、平成28年(2016年)11月には、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。


私が高校、大学生の頃はお祭りといえば屋台が楽しみ。山車のお囃子もお祭りのBGMのように思っていました。ですが、このお祭りの起源や意味を知り、370年もの間、川越の人々が守り、受け継いできた素晴らしいものなのだと思うようになりました。このお祭りを間近で体感することができるのは、職員の役得。当日がお天気に恵まれますように。そして、私は370年前の人々に思いを馳せたいと思います。

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